— Still thinking. . .

シーメンス原発産業から離脱

ドイツ大手のジーメンスが原子力産業から離脱。その決断を「ドイツ社会と政治の意向に対する当社からの応答」と位置づけつつ、自然再生エネルギーを「21一世紀の一大プロジェクト」と呼び、「2020年までの自然再生エネルギーの供給率35%は達成可能」とする。以下はBBCから抜粋。

He [Siemen's executive] told Spiegel magazine it was the firm’s answer to “the clear positioning of German society and politics for a pullout from nuclear energy” [...] He also gave his backing to the German government’s planned switch to renewable energy sources, calling it a “project of the century” and claiming Berlin’s target of reaching 35% renewable energy by 2020 was achievable. (全文へリンク

「日本とドイツは状況が違うんだ」ということをおっしゃる方もいます。確かにドイツの新聞Spiegelでもドイツが電力輸出国から輸入国へと一夜にして転身し、フランスやチェコなど近隣諸国がこれをビジネスチャンスと捉えているとの記事があります。この点、ドイツの世論が電力業界への打撃と来るべき光熱費増加にどう反応していくか様子を見守りたいのですが、そもそも日本は、稼働するプロセスで消費する以上の燃料を生み出すという壮大な核燃料サイクル計画を堅持してきた訳ですから、それこそ自然再生エネルギーなんてのはそれと比べてしまえば、たやすくまた現実性もあると言えるのではないでしょうか。

しかし、今回のシーメンスの一件が示すのは、経済界が政治と社会の潮流に対し、ビジョンを持ちながら決断をしていった良い一例だと思います。日本でも、エネルギー政策の50年、100年を睨んだビジョンが必要です。それを産み出すような決断が出来る人の登場が待ち遠しくもなりますが、政党や官僚組織が「しっかりやってくれる」ことを期待していたら(一部の問題に関しては)大変なことになってしまったというのが現今の日本の現状ではないでしょうか。(僕は有権者の「安心」を価値基準とした官僚制民主主義の限界こそが、3.11以後に改めて露呈した日本の根本的問題の一つだと考えています。)ですから、さらなる「安心」を求めてしまう、そういう思考パターンには最大限警戒すべきです。そしてあらゆるチャネルを駆使して政治・経済・専門知のからまりに有権者が食い込んでいく必要があります。

ところで、こうした政策を考える際に問題になるのが原発の(非)経済性です。もし非経済性やリスクを認め、それでもなお原子力を減らしてゆく立場を取らない場合は、別の問題への配慮をしていることになります。そこにはプルトニウム所持と核兵器開発への転用を睨んだ技術的基礎体力、それに付随する安全保障上の抑止力という問題がありそうです。その場合、アジア外交および日米安保におけるプルトニウム所有の意義がこれまで霞が関界隈でどのように理解されてきたか、という問題を丁寧に洗い出していく必要が出てきそうです。もちろん反原発という立場の場合は、それ以外にも反対の論拠、論点は多々ありますが、それは機会があればまとめてみたいと思います。