— Still thinking. . .

ビジネスのこれまで(とこれから)-その2 イギリス初の株式会社ブーム

サンプルチャプター二つ目の全体像が見えてきました。

 

1690年代にイギリス初の株式会社ブームがあったんですが、そこをよく見てみると、どの会社もどのようにビジネスを通して株主に利益還元しつつも社会貢献するか、という点を強調していて、public serviceを一つの合言葉になっていたことが分かってきます。当時はやっていたビジネスプロジェクトについて、ロビンソンクルーソーで有名なデフォーは例えばこんなことをいいます。

それらが社会に益するものであることは疑いの余地が無い。それは、通商を盛んにし、貧民には職を与え、そしてこの国の財貨の流通と増大に貢献するからだ。そのような社会貢献をするプロジェクトは、創造性と改善の精神という実直な土台に支えられるべきものであることは言うまでもないが、公益への配慮がなされていれば、当事者が一義的には自身の利益を考慮することにも異論はない。[意訳]

Projects … are doubtless in general of public advantage, as they tend to improvement of trade, and employment of the poor, and the circulation and increase of the public stock of the kingdom; but this is supposed of such as are built on the honest basis of ingenuity and improvement, in which, though I will allow the author to aim primarily at his own advantage, yet with the circumstances of public benefit added.   -Daniel Defoe, An Essay upon Project (1697) オリジナルの リンクはここ

彼も指摘するように、株主なり、事業者の利益の追求は当然是とされていたわけです。そうなってしまうと、果たして本当に社会貢献をする為に工夫を凝らした事業なのか、ただ自分の事業をもっともらしくPRする為にソーシャルを騙ったのか、はっきりいかない場合が多くあった。さらに、「デモクラシー」とかほかの言葉と一緒で、響きの良いスローガンの背後に多種多様な宗教的・党派的ビジョンが織り込まれた訳です。

すると、もちろん不祥事も起こります。
ちょうど同じ時期に新聞がどんどん立ち上がったのですが、ロビンソンクルーソーのデフォーやガリバー旅行記のスウィフトが「大衆の啓蒙」と称していろいろな議論を新聞でやり始める。しかし、少なくとも大きなビジネスが失敗したり、不祥事が起こったときは党派的抗争に利用されるか、首謀者が祭り上げられてしまうか、いずれにしても事態が矮小化されることが多かったのです。18世紀初頭は所謂啓蒙主義の時代の先駆け。ニュートンもいたし、理性を賞賛する言説も少なくなかった。しかし、ことメディアのビジネスへの対応に限って言えば、紋切り型の議論が多く、それらが経済構造や商業をめぐる慣習の問題点など、複雑な諸問題をめぐる深い議論を妨げていたようなんです。

 

もちろん現代と全く一緒ではなくて、宗教性は色濃く残り、リスク評価の手法も、民法の制度も整ってなかったわけですが、なんだか、似ているところが多くて不思議な感じですね。