— Still thinking. . .

Extended mind

昨日あったセミナーでextended mind (拡張した精神)という考えについて聴いた。
Where does the mind stop and the rest of the world begin?
「どこまでが私のココロで、どこからが外界なの?」
という問いがテーマ。

僕らのココロや思考が先にあって、それをコトバとして友人に話したり、ペンやキーボードやツイッターが表現するのではなく、むしろ、そうしたメディアの特徴や、(例えば二次元であることや字数などの)制限が、そして会話について言えばやり取りのプロセスそのものが、僕らの思考のあり方を規定する。つまり僕らの内面がメディアや話し相手と取っ組み合うその往復運動そのものが思考であり、僕らのココロなんだね、という考え。言われてみれば全くそのとおりで、例えば友人と話してみて考えがまとまったり、実際に文字として書いてみて初めて自分の考えが浮かび上がってくることもしばしば。 裏を返せば文字に表せることや、誰かに言葉として話せて始めて、「モヤモヤ」していた自分のキモチが腑に落ちる気がする。言葉や言葉遣いという社会的に共有されたメディアそのものが僕らの思考やキモチを形づくっているとも言えそうだ。

「コミュニティプロジェクトとしての私」という話を10月にあったTEDxyzでさせてもらったけれど、「自分」を超えて、という考えについてきちんと研究している人がいたんだな、と気づかされた。気づいてみれば当然な気もするし、何だか嬉しい気もする。自分が実感をもとに考えていたことを、昔の人や小説も言っていることに気づいたりすることが稀にある。自分が世界と共に歩んでいるというか、何か尊大な響きもするけれど、素直に「僕だけじゃなかったんだなぁ」と感じられて、嬉しいものだ。そんな気持ちに今回はセミナーを聞いてなったのだろう。

フェイスブックのアップデートとして書き始めたこのエントリー。ブログに移して紙幅の制約が無くなかったお陰か、いつの間にか思った以上に自由に書いている自分がいることに気がついた。こうして15分、20分間と「新規投稿」のページと向かい合ってみて、初めて、なぜ昨日のセミナーを聴いてワクワクしたり嬉しくすら感じられたのか腑に落ちた気がする。

メディアと、またコトバと取っ組み合う過程、それのプロセスそのものが僕の「ココロ」だった。
Extended mindとは、まさにこんなことを言うのだろう。

 

Andy Clark and David Chalmers, ‘The Extended Mind’, Analysis , Vol. 58, No. 1 (Jan., 1998), pp. 7-19. http://consc.net/papers/extended.html
山本浩司、「越境者としてのパーソナルヒストリー」、Tedx Tokyo yz、2011年10月1日  http://www.youtube.com/watch?v=WSTtr6Uezz4&feature=player_embedded