— Still thinking. . .

慰安婦展覧会騒動とレッテルからの卒業 

レッテルを張って片付けてしまうことの危うさについて考えさせられる一件だ。名古屋を拠点に活動をしている写真作家アン・セホン(41)の従軍慰安婦をテーマにした展覧会が突如中止になった。

彼は来月[6月]26日から7月9日まで東京、新宿の展示場「ニコンサロン」で写真展を開く予定だった。 展示される作品はアン氏が2001年から2005年まで7回にかけて中国を訪問し、撮影した朝鮮族元従軍慰安婦のおばあさんたちの写真38点だった。昨年12月、審査委員5人で構成された主催側選定委員会の審査で作品性を認められ展示が決定した。

だが、カメラメーカーであるニコンが運営する「ニコンサロン」側関係者は22日、アン氏に電話をかけてきて「展示が中止になった、理由は明かせない」と一方的に通知した。ニコン側は「名古屋に行って謝罪したい」と話しているが、アン氏は「単に謝罪のためになら来る必要はない。写真展を予定通り開催してほしい」と要求した。
(主催者側の主張はこちらのブログを参照)

一部の右翼から圧力があったことをニコンは認めているそうだ。『アン氏の展示会が差し迫るとインターネット掲示板などには「歴史ねつ造に加担する売国行為だ」「外国の一方的な主張を代弁していいのか」などの非難コメントが相次いだ』ことは、ツイッターで検索しても一目瞭然だ。

今回の件を「また一部のネトウヨが騒いでいるね」という風にレッテルを張り、状況を言い当てた気分になって、それで片付けてしまうことは簡単だろう。けれどブログやツイートを見ている範囲でも分かるのは、救国・除鮮(!)と言って従軍慰安婦問題に関して苦情の電話をかける方の中には、被災地義援金を振込み、東北産の食べ物を積極的に取り寄せている人すらいるかも知れない、ということ。確かに彼らのニコンサロンへの苦情は、僕自身の視点からはかけ離れている。けれど、彼らがとっている他の愛国的行動については僕だって共感出来るところがない訳ではない。このブログを読む方の中には、いても立ってもいられない気持ちで被災地へ義援金を送り、自腹で被災地へボランティアをしに行った人もいるかも知れない。僕はそんな気持ちでエジンバラの路上で募金を集めたし、絶望的な気持ちと怒りをこらえながらパブコメを送りつけたこともある。それと同じような気持ちでニコンサロンへの苦情をした人だっていたのかも知れないということだ。そうした心情と経験がその人達にとって持つリアリティと肌触り、これを理解する為にも、僕たちは「ネトウヨ」などの紋切り型には警戒した方が良さそうだ。もちろんそれだけでは、罵り合いと無関心、疑心暗鬼に凝り固まった現実を動かし、建設的な対話を始め共通理解を深めたりするのは難しいだろう。ましてやこうした「愛国的」行動パターンを変えようなんてもっての外かも知れない。そして一方では技術的な問題として、展覧会入り口に飛行場にあるようなセキュリティ・ポイントを作るとかそういう事で開催にこぎ着けることは出来るかも知れない。これを「解決策」とする見方だってもちろんある。しかし、これでは問題の根本は置き去りだ。今回のニコンの件が映画「靖国」の上映中止騒動と重なることがあるとすれば、また同じ事が繰り返されることになるだろう。今ある土俵そのものをひっくり返すにはどうしたらよいのだろうか。そう思ったら、ある種の畏怖の念というか、同じ地続きの経験を共にする相手かも知れないんだ、という視点も必要となって来るんじゃないだろうか。

 

こうして僕の方でも「ネトウヨ」というレッテルを鵜呑みにせず、愛国心からニコンに苦情を出した方へ対して想像力を働かせるとしたら、同時にそういう方々にも、同じ様に自分と違う意見の人を「反日」「売国」と切り捨てるのは避けて欲しいなあと思う。言葉が二極化してしまうと、現実はそれに振り舞わせれてしまうから。ツイッターでの僕のコメントも、橋の両側から歩み寄る試みの一環という風になれば良いのにな、そう思います。

 

  • ニコンサロンで予定されてた従軍慰安婦写真展について。写真や展覧会にはメッセージ性がある。その論点の妥当性、写真の信憑性等に納得しない人がいるのは理解出来ます。けど公共性のある論点なら公表後ガチで議論すればよい。荒唐無稽な内容ならばスルーして他の大切な事柄に時間と愛情を注げるはず。 posted at 23:57:31
  • 4年前の、映画「靖国」上映中止騒動の焼き直しにもみえる。僕らは何かを学んだのだろうか。多様な言論を封殺する同調圧力。これがどれだけ美しい国土、その安全や繁栄を損ねてしまっているか、原子力災害に直面している僕たちは痛烈に自覚したんじゃなかったのか。 posted at 00:07:15
  • 日本現代史について発言される右翼の方は多い。国を憂慮する気持ちには敬意を表したい。無関心より余程良いかも知れない。しかし新宿の一室で展示される歴史の一解釈が日本政府の責任・賠償問題に帰着することを恐れておられるとしたら、それは本当に現実味のある憂慮の仕方だろうか。 posted at 00:17:37
  • 市井での解釈の多様性と政府の責任問題を混同すること。重要論点は実名で建設的に議論し、事実無根ならスルーという一種のリテラシーが、匿名の圧力によって社会全般に根付いていかないこと。そんなリテラシーの欠如が国際的にネタにされ日本の文化国力が低く見積もられること。その方が心配です。 posted at 00:28:34
  • こうした問題について考え、発言する際は、「愛国vs売国」の構図は非生産的。なにより異なる意見が自分とは違う「愛国」のあり方かも知れないという想像力が欠如してしまう。震災、原子力災害の後、僕らは無駄に憎み合う必要は無いはず。建設的かつ穏やかに意見を積み上げて行きたいものですね。 posted at 00:33:32