— Still thinking. . .

「失われし王子」展

ロンドンNational Portrait Galleryで開催中の特別展、The Lost Price: The Life and Death of Henry Stuartに行って来た。ヘンリー八世やエリザベス一世、またブラッディ・メアリの語源ともなったというメアリー・スチュアートなどはこれまでも多くの伝記が書かれてきたけれど、プリンスヘンリー(1594-1612)はそれほど注目されて来なかった。今回の展覧会は、そんなヘンリーに注目し、彼の肖像画やミニチュアポートレートはもちろん、王子の手紙や鎧兜、彼を取り巻いた貴族や宮廷学者が王子に捧げた書物、さらには彼に軍船を捧げた船大工(!)の肖像までを一同に公開したものだ。

構成は時系列。彼の生い立ちから始まった。イングランドの女王エリザベスが子を儲けずに1603年に亡くなったため、血族関係があり隣国スコットランドの王だったジェームズ六世が、イングランドの王座をジェームズ一世として継ぐ事になった。そのジェームズとデンマーク王家出身のアンとの間に生まれた長男がヘンリーだった。

イングランドから見ればよそ者の父、ジェームズとは違ってヘンリーが無事に育てばイングランドとスコットランドというプロテスタント両国を統合すべく育てられた最初の王になるだろうと期待された訳だ。しかも母方のデンマークもルター派のプロテスタントが国教だ。当時一大勢力だったカトリック国のスペインとフランスを屈服させる一大プロテスタント同盟がヘンリーの王位のもとに実現するかも知れない。そんなプロテスタント諸国の希望の星としてヘンリーは幼少の頃から注目を集めていた。今から見ればすこし大仰だけれど、冠をかぶり儀式的な衣装を着た2歳のヘンリー(右)が描かれたのもそうした理由があってのことだった。ちなみに彼が手に持っているのは無垢と純真を象徴したサクランボ。ちょっと二歳にはみえないよなあ。。

個人的に特に面白かったのは、彼がPrince of Walesに即位した1610年からは彼自身の周りの取り巻きが増え、ティーンエイジャーのヘンリーの下で学問・芸術を中心とした一種の宮廷文化が栄えたことだ。当時の政治家達もヘンリー宛に政治、外交、芸術など、多岐にわたる手紙を書送ったという。我田引水すると僕が研究しているような科学技術やその他の知識をビジネスに応用しようとした人達もヘンリーの庇護にあったようだ。こうしたテーマについてはPrince Henry Revivid(2006)のAlex Marr論文が論じているようで、これは注目しておきたいと思った (下リンク参照)。

展示は全体に小規模だった。1時間強あればザックリと観られそう。全体としては楽しめたけれど、最後がヘンリーの死で終ってしまっていたところが勿体なかった。彼が若く死んだことで王座は弟のチャールズが継ぐ事になる。イングランドをピューリタン革命(もしくは内乱)へと導く事になるチャールズ一世だ。彼の絶対王政的政治は国内そしてスコットランドから強い批判を招くことになるが、その際若く死んだ兄ヘンリーの記憶が弟を批判する足場となったことはあまり知られていない。事実、手稿として存在していたヘンリーの伝記が印刷・出版されたのは開戦前夜の1641年だ。緊張が高まるロンドンにおいてヘンリーのイメージがもった政治的インパクトはどのようなものだったろう?「失われし王子」の記憶はクロムウェル統治下、また1660年の王政復古期以後、どのように息づきまた利用されたのだろう?王子の死と記憶の不死を対比することで展示を締めくくることも出来たのではないだろうか。

http://www.npg.org.uk/whatson/the-lost-prince-the-life-and-death-of-henry-stuart/exhibition.php (公式サイト)